②精神科受診を決めるまで 大人の発達障害ADHDの治療薬ストラテラ(アトモキセチン)を飲み始めて三ヶ月経った男(29)の備忘録

精神科受診を決めた理由→長年続く自分の不注意に嫌気がさしたから。

経緯

私は陸運関係の仕事をしている。

現場をせわしなく動き回りながら、その日現場に着いた荷物の数を数えたり、誤配の荷物の伝票を確認したり、エクセルで現場で扱った荷物のデータ入力をしてメールを送ったりする。仕事の過程で、上司や同僚、ドライバー、下請け業者の作業員、いろんな人と話す。

就職して2年半、ほぼ毎日一回以上、同じようなミスをくりかえし続けていた。

ミスの内容は、仕事の報告のし忘れ、作業を途中で放り出す、荷物の数え間違い、世間話が長すぎる、伝票の読み間違い、などなど・・・
一つ一つは同僚もたまにするようなミスだし、そこまで大ごとになったものはない。しかし、頻度が異常だった。

というか、就職してからの2年半どころではなく、忘れ物が多いのも不注意も、子供の時からずっとそうだった。

昔の自分はそれだけではなく、短気で怒りっぽく話を聞かない子供だったので、すぐ癇癪を起こさなくなくなり、人の話を多少まともに聞けるようにようになった分、
「私も、なかなかどうして、大人らしくなったものだ。」
と思っていたくらいだ。

私の不注意は、自分の性格の一部だと思ってきたし、生活の中で工夫をすればそれなりにマシにはなった。

成果に比べて割に合わない労力と時間をかけているような気がしつつ、受験もそこそこ頑張り、高校、大学、大学院と進学。一応どれも無事に卒業した。

私の不注意の原因は、社会に慣れていないだけ、経験が足りないだけ、環境があってないだけ、精神的に未熟なだけであり、働いて、人と関わるうちになくなっていくものだと思っていた。

実際、経験を積んでいく中で、できるようになったことはたくさんあった。

人の目を見て話す、声は聞こえるように、挨拶はきちんとする、同時にいくつかの仕事を任されたら焦らず一呼吸置いて優先順位を決める、効率よく進める方法を考える、報連相をきちんとする、とかそういうやつだ。

しかし、不注意や視野の狭さ、強い思い込み、すぐ焦ってしまう癖、焦ると考える前に迂闊な言動をすることは全く改善できなかった。『もう同じ失敗はしたくない!』と思って意識したり、自分の失敗をメモに書き出して対処法を考え試してみたが、ほとんど効果はなかった。

目の前の物事に焦点を合わせることが難しく、注意がそれるたび直前にやっていたことを忘れる。

不意に話しかけられたり、指摘されて自分のミスに気づくと、異常に緊張して心臓がバクバクする。

頭で何かやりたいと思っても、体にものすごく足を引っ張られる、と言う感覚がずっとあった。

学生時代から個人経営の食堂、コンビニの夜勤、雑貨屋、神社、工場でのピッキングなどいろいろなところで働いた。コンビニの夜勤や工場のピッキングのような、一つの作業に集中できて、注意の切り替えをこまめにしなくて済む職場は比較的働きやすかった。しかし、どこで働いても私の根本的な問題は変わらなかった。

自分なりに工夫したり、いろいろな失敗も気の持ちようでは貴重な経験だと思い、だましだましやってきたがいいかげん嫌気が差してきた。

今年で29歳。

就職して社会に出て2年半も経っているのに、まともに荷物の数も数えられず、聞いたことはすぐ忘れる。

思い込みが強く、必要な確認を怠って同じミスを繰り返す。アルバイトを始めたばかりの高校生ができるようなことがいまだにできない。

同僚の、大学時代からの友人にはいつも迷惑をかけてしまうし、職場で個人的に苦手であまり関わりたくない人がいても、自分のミスのせいでフォローされざるを得ないため自分から距離を置くのが難しい。

何かをするたびミスを繰り返してきたから、新しいことを始めようと思っても腰が重くなる。

自分のやることに責任を果たせないことが多かったから、自信がない

いつも周りに迷惑ばかりをかけているって自覚と後ろめたさを常に感じてるから、人生を自分で選んでいるという感じが薄い。無能感と申し訳なさでじわじわと気分が落ち込んでいった。

季節の変わり目だったとか、体調が悪かったとかもあると思うが、2022年9月〜10月くらいは特に気が滅入っていた。

そんな時、10月半ばに、話の流れでたまたま、うつの診断をされた友人から精神医学の本を勧められた。その本を読んだことがきっかけで、発達障害というものをきちんと知った。発達障害の症状を知るにつれ、思い当たることが多くて驚いた。調べていくうちに、ADHDにはいくつか治療薬があり、完治とはいかないまでも改善は期待できることを知った。

ADHDという言葉と、モヤッとした概念はなんとなく知っていたが、ちゃんと調べたことはなかった。雑な知識で「こんなものに病名をつけ、できないことの言い訳にしたら、工夫したり頑張ることをやめて、人として大事なものを失うに違いない」とさえ思っていた。治療の方法があるとも思ってなかった。

その友人からは、うつ病になった経緯や、精神科でのカウンセリングや治療の話をよく聞いていた。うつ病には、脳の発達や遺伝的な要因もあり、気のもちようの問題だけではないこと、投薬が必要なこと、投薬を始めても自分に合う薬を見つけるのが大変なこと、などいろいろなことを知った。

友人からそんな話を聞いていてさえ、自分の体に障害があるとか、自分が精神的に病んでるとか思いたくなかったし、自分が弱っていると認めることは恥ずかしいと思っていた。だから「精神科へ行く」ということに最初はかなり抵抗があった。それでも行こうと決められたのは、気分の落ち込みを相談した際に、その友人がカウンセリングを勧めてくれたからだった。以前から自分の病気についてあけっぴろげに、詳細に具体的な治療の過程を話してくれていたので、「うつ」や「精神科」というものについてイメージが掴みやすかったし、自然な感じで「いってみようかな」と思えた。友人には感謝している。

そして、10月末、精神科に受診することを決め、ADHDの相談・診断をしてもらえる病院を調べ、実際にいってみたのだった。

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